オリジナル小説を綴っています。 拙いものですが、少しでもお話を楽しめる憩いの場になればと。

三つの乾杯 3 定年退職の祝い(1) 

「乾杯!」
「大樹さん、改めまして、長年のお勤めお疲れさまでした」
「明美さん、今更だけど、いろいろありがとう」

 向かい合う二人は、まるで双子のように同じように目を細めると、同時にグラスを口にした。

「おいしい! このシャンペン」
「子どもたちに感謝だね」

 そしてまた、同じように目じりにしわを寄せた。この似たもの夫婦を見る者に、幸せのおすそ分けもできるくらいの笑顔で向き合う。

 二人のテーブルには、愛らしいピンクのバラの一輪挿しがあり、清楚な透明のグラスにたゆたう水には、フローティングキャンドルが浮かぶ。

 ファイブスターホテル・ラウンジレストランの、さり気なくも品の良いもてなしに気が休まる。

 世の中には様々なカップル、夫婦がいる。大樹と明美は、二人を良く知る同僚や友人たちから「夫婦が仲良くある秘訣とは何でしょうか?」と頻繁に尋ねられるほどに仲の良いおしどり夫婦。

「フランス料理のフルコースなんて、マナーもわからないし緊張するなあ」
「出てくる順にいただけば良いのよ。娘たちにお膳立てしてもらったんだから、楽しみましょう」
「そうだな」

 二人同時にニッコリと笑うと、前菜として出てきたサーモンとアボカドのカルパッチョにナイフの先を付けた。

 大樹と明美、出逢って、結婚して、娘二人を育て、人生を夢中になって過ごしてきた。その時々に、アルバムにずらりと並ぶ様々なエピソードがある。

 いつの間にか歳を重ね、お互い髪に白い色も加わるようになった。娘を一人送り出し、その娘の子どもの頃とそっくりな孫に手を焼く。二人目の娘もすでに婚約を結んでいて、門出を祝うのももうすぐ。

 そうこうしている間に、大樹はやりがいと高い意志を持ち続けて当たってきた仕事が定年、そして退職という人生の節目を迎えた。

「あっという間だったなあ」
「どうしたの急にしんみりしちゃって」
「いや、なんとなくね」

 大樹が目を向けた窓の外には、天の川のほとりにでも立っているのではと錯覚するほどのきらめきが広がっている。

 大樹の退職金をはたいても、この美しい光の集まりを購入することはできない。そもそも、お金に換えられるものでもない。

 レストランのフロアから聴こえてくるピアノとバイオリンの演奏が、体をすり抜けていくように心地良い。本物の音楽が聴けるこの機会を夢のように感じていた。

「失礼いたします、進藤様。ワインのボトルはこちらの方でよろしいでしょうか」

 上品な礼儀を携えたウエイターが、ワインのボトルを手に会話の邪魔にならないようそっと佇む。

 その出で立ちは、ウエイターと言うよりも、ワインと食事をコーディネートするソムリエと呼ぶほうがふさわしいかもしれない。

 清楚な白いシャツに蝶ネクタイ。細身の黒いベストからすらりと伸びた細身のパンツ。

 ワインを持つ手の指は長く、ボトルを持つというより、軽く手を添えているだけのように見える。

「明菜様、千明様から、こちらでということで承っております」

 二人の娘だ。ホテルの宿泊から食事からのすべてを、娘が父親の退職祝いとして用意してくれていた。

 年度末、三月三十一日をもって無事に退職を果たし、第二の人生をのんびりとスタートさせていたところに届いた娘たちからのお祝い。それがこのファイブスター・ホテルで過ごすスペシャルプランだった。

「こちらはオーストラリア産、メルローの赤ワインでございます」
「はい。お願いします」

 その返事にボトルが開けられ、グラスにほんの数センチだけ注がれる。そのグラスが大樹の前にそっと置かれるが、ワインのテイスティングなんて、見たこともしたこともない大樹は目を丸くするばかり。

「色の方は、黒みがかった濃い赤が特徴となっておりまして、香りはラズベリーやチェリー、またはプルーンのような熟した黒い果物の香りによく例えられます」

 若いソムリエによるさり気ないリードに、大樹はグラスに鼻を近づけ、さもそれなりに頷く。

「うん。良い香り」
「お味もお試しください」

 促されるまま、何も気取ることなく普通にグラスを持つと、大樹はそっとその赤ワインに口をつけた。

「ソフトな感じ?」
「はい。こちらは渋みが控えられたフルーティーでまろやかな一本でございます」

 大樹は正直、普段は飲まないワインの味など全く分からなかったし、こだわりもなかった。

 けれども、いつもと違う飲み物を目にするのは、せっかくの機会だから楽しもう、ただそう思った。

「舌触りがとても良いですね」
「お気に召していただけましたでしょうか」

 最高のプレゼントをもらったかのようにそのソムリエはニッコリと微笑むと、「どうぞお楽しみください」と明美のグラスにもワインを注いだ。

 大樹と明美の二人は、グラスを傾けながら、耳に聴こえてくる素敵な音楽の演奏をしているのはどんな人たちだろうと目を向ける。

 ピアニストの女性は、シンプルなデザインのノースリーブのドレスに身を包み、軽やかな音を奏でている。

 飲んでいる赤ワインと同じワインレッドのドレスの色が、レストランの落ち着いた雰囲気にぴったりとマッチしている。

 バイオリニストの男性は、黒いシャツに黒いスリムのパンツ。ピアニストと比べるとモダンな服装である。

 スラリとした上背のある身長は、180センチを優に超える。黒く長い髪が顔の前を揺れていて表情が分かりずらい分、体全体でしなやかに繊細な曲調を表現している。

「素敵ねえ」

 明美が、夢でも見るようにうっとりとする。この奏者二人のデュエットによってつくり出される、もったいないくらいに贅沢な音の時間。それを楽しむことができるのも娘たちのお蔭と、大樹と明美はありがたさをかみしめた。



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 二つ目の乾杯です。


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 皆様が素敵な一日を過ごせますように。
 Have a nice day!
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Comment

Name - LandM  

Title - 

う~~む。こういうやはり円熟した雰囲気でレストランで飲むお酒もいいですよね。
なかなか最近は飲酒運転は駄目なので、レストランで飲むということもできなくなっていますからね。ここ5年ぐらいはレストランでお酒を楽しんでいないので、読んでいるとウキウキしますね!!
2016.10.21 Fri 20:33
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Name - けい  

Title - LandMさん

コメントありがとうございます。

円熟カップル、良いですよね~
私も普段は家飲み派です。
ジャパンでこのところ人と会ったりしていて外で飲む機会が多いです^^
LandMさんも、たまには外でウキウキしてくださいね^^
2016.10.22 Sat 20:05
Edit | Reply |  

Name - 夢月亭清修  

Title - 

御無沙汰しています~、現在纏め読み中!です!
コメントは最後の方に…と思っていたのですが、里桜ちゃんのパートと違う形で夜景が表現されていて素敵でした^^
「天の川のほとり」って、いかにもこの年配の夫婦にしっくりしていて――退職金の下りもほっこりです♪
これが娘達からのプレゼントだっていうんだから、こんな素敵な夜は人生に一回きりじゃないかなぁって、読んでいて嬉しくなっちゃいましたw
連コメになりそうですがこのまま五話目まで読んじゃいますね~♪
2016.11.01 Tue 23:44
Edit | Reply |  

Name - けい  

Title - 夢月亭清修さん

コメントありがとうございます。
纏め読みありがとうございます~^^

同じものも見る人によって違うものになるわけですけれど、それを表現するのは超難しいですね。
そこを見ていただいてとても嬉しいです。
でも、もっと洗練された文章で書けるようになりたいですね。(←強き願い)

娘ちゃんて、結構こういうことしません? 
息子ちゃんはどうなんだろう?
2016.11.02 Wed 12:36
Edit | Reply |  

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